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第1回
今回のお客様は...有限会社なかい 杉本英仁

天理系今回の天理系プロフェッショナルは『有限会社なかい』(以下『なかい』)の課長・杉本英仁氏です。
課長、本日はよろしくお願いします。

杉本課長こちらこそよろしくお願いします。

天理系では早速、お話をお聞かせいただこうか…と考えているのですが、その前に、非常に申し訳ございませんが、『なかい』と聞いて「ああっ」となる人はあまり多くないと思うのですよ(汗)

杉本課長確かにそうですね。やはり世間の認知度で考えれば、当社の主力商品である『天理スタミナラーメン』(以下『天スタ』)」が前に出すぎていて、会社名が浸透しきれていないといった事はあるかもしれませんね(笑)

天理系商品の存在が大きすぎるということですね。私にとって『天スタ』はもう子供のころからお世話になりっぱなしで本当にソウルフードの1つですよ!

杉本課長冗談でもそう言っていただけますとこちらとしても本当にありがたいことです。

天理系では今度こそ本題に入らせていただきます。まず『天スタ』の生みの親である社長とはいったいどのような人物なのでしょうか?

本通り店の外観です

杉本課長社長の中井嘉彦は天理市の高校を卒業後、大阪芸術大学へ入学し、その後プロのミュージシャンとして活動しておりました。ですが、その中でどうしても自分でライブハウスを作ってそこで演奏する夢を捨てきれず、奈良市でライブハウスを立ち上げたのです。

天理系中井社長は何度かお見かけしたことはありますが、体の大きな方で確かラグビーをされていたとお聞きしていますが音楽もされていたのですか?

杉本課長はい。天理高校時代はラグビーをしていました。ですが音楽もしていたのでそのまま芸大へ進学しました。中井はピアノの調律師でもあるのですが、知り合って間もないころ、彼がピアノにコソコソ触れて壊すような動きをしていたので近づいてよく見ると調律をしていたのですごくびっくりした事があります。まさかあの体で調律をしているとは誰も思いはしませんよね(笑)

天理系本当ですね(笑) ピアノの調律師というのもまた凄いですね。ではその中井社長がライブハウス開業からどのように『天スタ』というラーメンに辿り着いたのかを聞かせてください。

杉本課長ライブハウスでは様々なミュージシャンをゲストでよんでいました。そうしたミュージシャンが退店した後は営業終了をするのですがその営業終了の前に締めとなる食事をお客様へ提供していたのです。毎日、日替わりメニューを出していたのですが、その中に『天スタ』の原型となるニンニクと豆板醤入りのラーメンもあったのです。その締めのラーメンが人気となり、しまいにはライブを見に来るというより、閉店時間に提供されるそのラーメンだけを目当てに来店するお客様も現れてきました。そうした中で「このラーメンでお店を出したら?」と言った声が増えてきたので、中井もその気になりラーメン店を出す決意をしました。ただ新たにテナントでのお店を構えるまでのお金の無かった中井は警察に営業許可を取り、屋台として始めることになりました。そして、ラーメン店をやるには生半可な気持ちではできないと思い、ライブハウスも閉店する事にしました。

天理系びっくりしました。お金が無くて始められたのですね。その屋台として始められたのが天理郵便局前の天スタですか?

杉本課長それが違うのです。三輪神社の鳥居の近くの喫茶店の駐車場をお借りして始めました。今から30年ほど前になりますね。

天理系三輪神社? 最初は桜井市での開業だったのですか?

杉本課長はい。桜井市で今の郵便局前の屋台のような状態ですね。テーブル数は少なかったですけど。

天理系それは中井社長お1人でされていたのでしょうか?

杉本課長いえ。中井の奥さんや閉店したライブハウスの元従業員ですね。実は私もその桜井の屋台でアルバイトをしていました。

天理系杉本課長もすでにその頃からされていたのですか?
どういう経緯でアルバイトすることになったのでしょうか?

杉本課長当時、私は天理大学生で、天理本通りの入口のテキヤさんで週末はアルバイトをしていたのですが、そこの社長さんの奥さんが中井の姉でして、その奥さんから「弟のお店を手伝ってあげて」と言われて平日はその桜井の屋台の手伝いに行くことになりました。

天理系ではほぼオープニングスタッフになるのですね。

杉本課長そうなりますね。ライブハウス時代からいた従業員の1人は当社の部長です。

天理系すごい! 飲食店は離職率が高いと言われますが30年近くこうして運命共同体のように歩まれているのは本当に素晴らしいことですね。社長のカリスマ性に惹かれているということもあるのでしょうね。

杉本課長ありがとうございます。中井の人間性に惹かれたというのは当然あるでしょうね。

天理系さて、その桜井の屋台ですが、開店して経営状況はどのような感じだったのでしょうか?

杉本課長はい。天理系さんのご期待にお応えしたかったのですが、実は桜井の屋台はそれなりに流行ったのです。

天理系ちょっと待ってください! 別にこちらはお店の悪い状態を聞いて喜びたいわけではございませんよ(汗)

2階の店内画像です

杉本課長そうだったのですか? すみません(笑) 確かに桜井の屋台を開店する時は切羽詰まった状態だったのですが蓋を開けてみればそれなりにお客様の流れがあったのです。当時は天理市も含めて、桜井市も深夜営業のお店も少なく、24時間営業のコンビニもまだ無かったので夜遅くまで開けていたうちの屋台が珍しかったのでしょうね。そこで辛くて臭いという珍しいラーメンと言うことで少しずつ話題を呼んだのだと思います。

天理系起死回生されたわけですね。ちなみに現在その屋台は?

杉本課長ありません。その屋台の営業時間帯は夕方5時から深夜2時までだったのですが、ありがたい事に、お客様が大勢入りすぎて深夜でも混雑するようになりまして。そうしますと賑やかになりますので。

天理系なるほど。その賑やかなのが昼間ならいいけど夜中と言うことで。

杉本課長そうですね。夜中でも賑やか過ぎるという事で近隣住宅からご注意を受けましたので、店の場所の変更をすることになりました。

天理系ではもしまわりからのご注意がなければ、そのまま存続し続けていて『天スタ』は桜井が発祥の地になっていたのかもしれないということですね!

杉本課長そういうことになるかもしれませんね(笑) そうして店の移転先を考えることになるのですが、中井は天理市櫟本町の人間なので、天理に戻るかということになり、中大路(天理郵便局前)で営業をすることになりました。

天理系なるほど。我々が知っているのはここからであり、これから『天スタ』が天理に根付く怒涛の活躍をしていくのですね。

我々が知る『天スタ』はここからスタートするみたいです。

対談は2回に分けて記載させていただいています。

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